昨日、安倍さんが夕方引退と言いますか辞任を発表致しました。
このブログは必ずしも直近のニュースを解説するというものではなくて、もう少し長期的で腰の据わったものについての見解を述べるものなんですが、安倍首相の辞任ぐらいになりますとやはりニュースとしては大きいので、ちょっと私の所感を述べたいと思います。
立派な首相だった。
総じて言えば立派な首相でしたね。
僕の感じでは、伊藤博文・吉田茂・池田勇人というような超A級の首相というのが日本を今まで引っ張ってきたわけですが、まあそこに匹敵するような人物であったと。
例えば、憲法改正、それから黒田日銀総裁を起用した積極的な財政政策なんかは出色のものであります。
それから外交ですね。
外交は恐らく歴代の首相の中で最も力があったという風に言えると思います。
しかし、その他の政策はどれもこれもやや中途半端に終わりました。
もちろん細かいものはかなり実績を上げたところもあるんですけど、例えば増税を計画通りに上げたなど、特に安倍首相の後半はもう一つの業績でした。
もちろん、これは多くの妨害があったからですね。
例えばモリカケ問題とか桜を見る会など、非常に枝葉末端の事を取り上げてそれで国民に議論させないというか、国会に議論させないという、そういうマスコミ及び野党の問題がある。
この問題の奥にはやはり日本社会というものが大きくあるんだろうと思うんですね。
なのになぜ業績がもう一つなのか
一番のポイントは私は『安倍さんが非常に優れた首相だったにも関わらず、何故業績が上がらなかったのか』という事が、今日これはヒバリクラブじゃないんですけども、ヒバリクラブ的に言えばそうだと。
つまり、これから我々が安倍首相を非難しても、安倍首相の客観的評価をしてもあまり意味がなくて、私達及び私達の子供達が幸福な人生を送れるようにする為には、今度の安倍首相の辞任をどう考えるかという、そういう視点だと思うんですね。
1990年と将来
二つあると思うんですね。
『安倍首相が立派だったけれども業績が上がらなかった』という一つの理由は、やっぱり1990年における将来の見通しの失敗ですね。
これは安倍さんではありません。日本社会全体ですね。
1989年から90年にかけてというのは天安門事件が中国ではあって、ベルリンの壁がドイツでは崩壊して、日本ではバブルが崩壊するという、大変な時代の変革期にあたったわけですね。
そこで明るい社会、つまり『未来社会はどうなるんだ』という事に注力して政策を切ったのがアメリカと中国です。
ですから、30年後の現在ではアメリカと中国が世界をリードしておりますね。
それはつまり、1990年における政治家もしくは社会の見通しが正しかったからですね。
まあ日本は『環境の時代だ』とか間違った方向に行きまして、私の事を言っちゃいけないんですけどこのブログは仲間内ですからね、ですから仲間内の人には許されると思うんですけど、私は『環境問題は何故ウソがまかり通るのか』を始めとして『リサイクルしてはいけない』とかガンガンやったんですけど、力及びませんでした。
将来は、30年経ったらもう今は分かりますよね。
ITのソフトとITのハードの時代に変換する30年だったわけですよ。
環境なんか何にも…リサイクルしたって全然現実リサイクルしてないし、ダイオキシンは毒じゃなくてウソだったし、地球温暖化もそのうち分かると思うんですけどね。
そのウソの将来像を描いたのが”没落するヨーロッパ”なんですよ。
それはまあ理屈通りですね。
発展するアメリカと中国はITの方に行った、そして現在私達の生活は1990年時代と全く違う、スマホを使ってGoogleとかAmazonを使って物を買ったり、色んな事ができる。Zoomみたいなものも現れる(これは中国ですけどね)。
それから中国の方ではITの機器が非常に進んで、かつて日本が電子機器では世界のトップをいってたのが、もう見る影もないと。
これはやっぱり政治の問題なんですね。
政治と経団連というか経済界の力の問題なんですね。
将来を見通す事だけが政治と実業家の行ってみれば実力ですからね。
それを1990年に大きく間違った。
そしてこれは2020年になってコロナが流行っても、次期総裁候補と言われる方々、一人も”コロナに対して日本はどうするんだ”という方針を示さない、演説をしない。
みんな逃げて回りました。
小池都知事も首相候補かなんかに挙がってますが、コロナに関してはむしろ選挙演説を自粛して全く見解を述べないと。
彼女はもう豊洲についても何についても見解を全く述べないんですね。
分からないんじゃないかと思うんですよ、私は。
頭の中をよーく見ると多分小池都知事の頭の中というのは、そういう事はもう分からないんじゃないかと思うんですね。
まあ何か都の役人を使って、頭に傘の代わりに何か陣笠みたいなのを被せるとかそういう事はできても、政治は分からないんじゃないかと思うんですよ彼女はですね。
まあそういう事で、実は安倍さんの候補者というのがこれから議論されますが、ほとんど意味がありません。
まあ辛うじて方針を言ったのは河野外務大臣ぐらいでしたね。
あとの人は一切コロナについても何についても言わない、という事ですね。
だから政治家は将来を言うんですよ。
将来を思いきって言う事によって、そちらの方に国を引っ張っていくという事ですね。
まあ実業家もそうです。
日本の経済界がダメなのはもちろん社長が得することばかり考えてるからって事ですね、ズルして得する。
腐臭がする社会
もう一つ大きいのは、これは我々が考えなきゃいけないんですけども、ここに『腐臭がする社会』と書きましたが、とにかくウソが多いんですよ。
今度の首相の記者会見でも、官房長官が「今日はコロナの事をお喋りになるんじゃないか」こう言ったと。
ところが聞く方も「多分そうじゃないだろう」と思って聞くわけですね。
つまりもうウソが常態化してるんですね。
言い方はいくらでもあるんですよ。
そういう質問が来たらですね「いやそれは首相の記者会見ですから、私の方から会見の前にその内容をお話しする事はできません。」と言えば良いわけで。
「みなさんがどういう風に予想しても、それは首相のお決めになる事ですから。」と言えば良いわけですね。
これはもう日常社会にまで及んでるんですよ。
日常社会でも、つまり”人を傷つけないように”とか、”上手くものが運ぶように”という事を言い訳にして、実体的にはウソを言うわけですね。
日本人が良かった事、日本が栄えてきた事はやはり日本人というものの基本的な態度が誠実である事、嘘をつかない事、恩義を感じる事、そして礼儀を守る事なんですよね。
やっぱり誠、恩、礼、こういう所に日本社会の根本があるわけですね。
それで、それによって日本は進歩してきたわけです、それで幸福だったわけです。
だって、法律一つ作るのも、日本だったら”だいたいの”法律を作っとけば良いんですから。
アメリカとか中国だったら、事細かに法律を作っとかないとそれを違反する人がいるわけですね。
日本の社会というのは、”自らが人に迷惑をかけるような事をやらないでおこう”という社会で、それが極めて良かったんですよね。
まあそういう社会に戻らないと、腐臭がする社会では発展しないと思います。
「人」よりまずは「政策」
ところで、多分安倍首相の辞任に対して、1/5ぐらいは安倍さんの色々な文句とか評価、4/5ぐらいが次の人は誰かという、これは多分僕は国民はあんまり興味ないと思うんですが、マスコミがはやし立てるという事になると思うんですね。
ただですね、私は『次の首相に誰がなるか』よりか『次になる人の政策は何を望むか』という事ですね。
これは国民の方もそれを言わなきゃいけないし、本当はちゃんとしたマスコミならマスコミもそれを取り上げる、政治評論家もそれを取り上げる。
これから、2020年から2050年にかけての30年間、私達は二度と1990年の轍を踏んではいけない。
だから、30年間を見通したしっかりした演説をする人、その政策が国民に合う人、その人が選出されなければいけない。
という流れが安倍首相の後任を決める時に出来れば、日本は良いんですね。
それに対しては私はここでは批判的な事は言いたくありません。
是非、政策を撲ってもらって演説してもらって、それに対して国民が誰彼じゃなくて『その人はどういう政策を持って、できれば今までもどうしてきたか』という事をしっかり議論する。
それによって私達の生活自身、私達の子供の未来が決定されるという風に私は思います。