科学から見た日本(5)日本だけが正しかった

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科学から見た日本(5)日本だけが正しかった


気分がすぐれない、前向きな考え方が出来ない、不眠気味の方などに。


怒り、敵意、イライラといった負の感情を、ケアする作用が期待できる

自分ではそんなにカッカしちゃいけないといつも自戒しとるんですが、やっぱり色々自分が勉強して「本当にこうだったんだ」と思った事が、何かテレビなんかで覆されますともの凄く自分の気持ちが制御できなくなる事があるんですね。

カーッとなってしまって「なんだ、これが分かってくれないのか?」とこう思う事があるんですね。

別にその人その人で意見が違うのは良いんです、全然。

だけど自分が言う事を聞いてくれないというか、途中で遮られるというかそれが残念で残念で、言わせてくれよって感じなんですね。

今日お話する『日本だけが素晴らしかった』。

何故、2000年前か3000年前の日本人がこの事に気が付いたんだろうか。

まあ大勢の人が気が付いたのか、一人の人が気が付いたのか分かりませんけれども、これに気が付いた為に、本当にその後の2000年、3000年の日本人というのは幸福な人生を送ったんですよね。

1)自然はありのままである。その結果、当たり前のことに気が付いた。それは、日本は日本人のもの。

それはどういう事だったかっていうと、“自然はありのままである”という事にある時に気が付いてるんですね。

自分の頭で『自然はこういう風にあるんだ』とか『こうあるべきだ』とかいう事じゃなくて。

ヨーロッパとか中国の人は『自然はこうあるべきだ』。

例えば神様が、天の神様がいて全部を支配してるとかですね。

そういう、その何というんですか、動物は人間とこう違うとか、人間でもこういう人は偉い人なんだという風に、何か自分の頭で『自然がこうあるべきだ』。

つまり、この世の中にあるものはこうあるべきだ。

例えば地球が中心で周りを太陽を回ってるという天動説でも良いですけどね。

それから、神様というのは、お釈迦様とかイエス・キリストというのは僕らと普通の人間と違うんだとかですね。

そういうような、何と言うんでしょうね、自然をそのまま見ればそんな事ないですよね。

確かにライオンでもボスはいますけど、何か全然違う人というのはいませんよね。

それから動物も別にそれぞれの動物とかそれぞれの植物が生きてるわけで、何もそこに法律があったりするわけじゃないんですね。

その当たり前の事に気が付いたわけですよ。

自然はありのままである。

自分達が自然はこうあるべきだとか、こうあるんだと考えちゃいけないんだって事に、日本人だけが世界で。

中国も中東もヨーロッパも気が付かなかったんですよ。

それで、日本は日本人のものっていう事になったんですよね。

この日本は日本人のものというのは、当然と思うけど違うんですよ。

中国は中国人のものじゃないんです。

ギリシャもギリシャ人のものじゃなかったんです。

ヨーロッパもヨーロッパ人のものじゃないんですね。

辛うじて若干それに近いのは、紀元7世紀にマホメットが作ったイスラム教の最初の頃は、ちょっとそういう考えがあったんですが、それも”神の前に平等だ”というそういう思想なんですね。

ところが日本では違うんですよ。

神もいないんですよ、神もいない。

単に自然を見ると、日本列島に日本人が住んでる、そこで海にも魚がいて山には獣がいる、木も植わってる、花も咲いてる、人間もいる。

それ自体がその状態なんだという、当たり前の事に気が付いたんです。

そしたら、人間にとっては(動植物は違いますけど)、日本は日本列島は日本人のものじゃないですか。

ギリシャはそうじゃないんですよ。

ギリシャは、みなさんギリシャは哲学が盛んでソクラテスとかプラトンとかアリストテレスとか尊敬しておられると思いますが、奴隷が少なく見積もって90%、多く見積もって95%奴隷ですからね。

奴隷っていうけどギリシャに住んでるんですから、ギリシャ人ですよ。

だから、ギリシャはギリシャ人のものじゃなかったんです。

ギリシャは10%のギリシャ人のものだったんですよ。

今の中国はそうですね。

中国15億人いるうちの8000万人の共産党員のものなんです。

アメリカもそうですね。

民主主義の体裁を採ってるけども、上位1%~5%の金持ちのものなんですよ。

だって、みんなが勤めてる会社は株主のものなんですから。

ところが日本はそれからずっと…天皇陛下とその問題が非常に接近してて僕のこのブログでも随分書いてますが、ずっと続くんですよ。

封建時代なんていうのは日本にはないんですよ。

封建時代というのはヨーロッパの概念ですからね。

日本にはその封建時代なんていう概念はないんですよ。

日本は一つしかないんですよ。

日本はずーっと日本人のものだったんです。

それが古代には、平安時代までは天皇が治めていて、武士の時代は武士の将軍が治めていて、現在では首相が治めているだけなんですよ。

それは治めている人の事であって、日本はあくまでも日本人のものなんですよ。

だから、自由もあり財産も持ち、喜怒哀楽の下で暮らしてたんですよ。

2)会社は従業員のためであり、株主は外の人。

それは日本の会社も同じなんですね、会社というのは僕らが勤めていた日本最後の日本式会社、つまり従業員の為の会社ですね。

もちろん社長というのがいるんですよ。

社長はその会社の指揮をしてる人であって、会社は従業員の為にあったわけですよ。

従業員の幸福の為にあったわけです。

ですからもちろん、今やられるようなある会社のある部分、例えば何かを作る所は部ごとどこかの会社に売ると。

従業員ごと売るなんていうのが最近やられてますが、そんな事絶対ダメなんですよ。

だって、株主でも何でもないんですから、社長のものでもないんですよ、会社は。

もちろん株主のものじゃないんです。

社長は従業員の為に統率する人であり、株主は従業員の為にカネを出してくれる人なんですよ。

つまり、そこに存在してそこで働いてる人が最優先というそういう思想、これは素晴らしいですよね。

だから日本の会社はみんな働きがいがあったんですよ。

僕はそういう会社にずっと勤めてましたからね。

3万人もいましたけど、みんな活き活きとしてましたよ。

それで社内では会長社長含めて全員「さん付け」なんですよ。

「武田さん」なんですよ。

中には武田君ていう人はいましたね、だけども、社長とか会長とか課長さんとかいう人は誰もいなかったんですよ。

つまり人間が働いている。

ただ、仕事の役割として課長もいて社長もいるってだけなんですよ。

これはもう江戸時代もそうですね、最近江戸時代は士農工商というのを身分制と言わずに職業分類と言うようになった、まさにその通りでね、武士が偉いわけじゃないんですよ。

士農工商というのは職業の分類なんですよ。

ですから、こないだケント・ギルバートさんも言っておられましたけど「日本は身分制というけれども、階級が変わる事できますからね。」って言ったんで、僕が「いやそれはね、最近ではもう身分制って言わなくなったんですよ。」って言ったんですけども。

それはケント・ギルバートさんがそう思うのも当たり前ですよね。

だって、通常身分制とかそういうのは変われないんですからね、変わらないから身分なんだからその人の。

それが日本は違うわけですよ。

3)「そこに存在して、働いている人」が最優先の思想。

だから日本の会社は良かったんですよ。

今は何ですか、くだらない商法が出来ちゃってですね。

僕が入社した時、仕事してたらちょっと偉い課長ぐらいの人が「君の時間は会社が買ってるんだから。」と僕に言ったんですよ。

「僕買われた覚えありませんよ。」つったんですよ。

「私は人間としてこの会社で働いてるだけですよ。」と。

「私は人間ですよ。」と言ったんです。

だけどね、もう最近のアメリカ、つまりヨーロッパ文化が素晴らしいと思ってるんですよ。

これが、僕が何でカッとくるかと言ったら、日本だけが素晴らしかったんですよ。

これはまあこの前ここでお話しましたように、温帯の島国だからなんですね。

温帯の島国は日本だけだから、日本だけが素晴らしい概念が考え方ができたんですよ。

そりゃあね、会社でもね、会社って従業員が働いてるのに何で株主がえばってるんですか、そんなはずないですよ(笑)

だから、じっくり会社を見ると、毎日朝来て、一生懸命働いて、お弁当食べて、帰る人達、その人達のものに決まってるじゃないですか。

日本人は日本で働いて田を植えて、それで一所懸命生活してる農夫、農民ですね、それが中心に決まってるんですよ。

それが自然をありのままに見たわけです。

ところが、他の国はちょっと頭が先行しちゃって「いや、そんな事ないよ。」と。

「見たらそりゃあ、武田君の言うようにみんな働いてるかもしれないけど、その中でカネを出してる方が偉いんだ。」とかですね。

「血筋が良い方が偉いんだ。」とかですね。

「刀が切れる方が偉いんだ。」って勝手に決めちゃうんですよ。

そんな事勝手に決めてね、僕だったら反論しますよ。

「だってここに1000人の方がおられて、995人までが一生懸命ここで働いてるじゃないですか。その人達は?」って言うと「いや支配者のものだ。」って言うんです。

そんなね、自然を直視しないやり方…だから日本人は宗教でも神というのは自然と祖先だし、それから決して犬でも馬でも動物でも、決して日本人は軽蔑しないんですよ。

4)この文化を絶対に捨てたくない!!

日本人は差別意識、人種差別意識はありませんけど、もっと凄いのは日本人は動物差別意識もないんですよ。

動物どころか針供養とか、そんなのがあるぐらいで、いつも使ってる針も人格があるんですよ。

だから日本人って変なんですよね。

例えば車を買って運転してると、バンパーに傷つけられると怒って「何で俺の愛車のバンパーに傷付けるんだ!どうしてくれるんだ!」ってこうですよね(笑)

いやパリに行ったらね、もうぎっしり駐車してますから前後の車に普通バンバーンと当ててという事はないですけど、ギュッギュッとして隙間を空けてから出て行きますよ。

しかし、それはバンパーはその為にあるんだっていうんですよ。

だけどね、日本人は違うんですよ。

車のハンドルもシートも綺麗に磨いた外装のツルツルしてピカピカしてる所も、それからバンパーも全部可愛がっちゃうんですよ、愛してるわけですよ。

ほんと、そういう文化が良いですね、本当に。

だから今でも同じですよ。

私、街を歩いてると何かこう人とこう交差する事があって、僕がこう「どうぞ」とかこっちが先に行くんで頭下げたりすると、相手が同じ礼儀を示しますよ。

そうじゃない日本人もいますよ?あのJRが悪い改札口を作ってますからね、早いほうが勝つと。

だから、僕が切符を入れようとすると向こうからパッと入れて「ニヤッ」と笑って出て行くような、そういうのは非日本人だから日本からもう出て行ってほしいですね。

私はこの文化を絶対に捨てたくないんですよ。

だからカッときちゃうんですよ。

日本人が、かつての2000~3000年前の日本人がやっと気が付いた事。

“自然はありのままである。”

自然がどうあるべきだとか、どうなければならないっていうのはダメですね。

だから僕環境運動なんかも嫌いなんですよ。

“環境はこうなければいけない”っていうものじゃないんですね。

それはもちろんゴミをそこら辺に捨てたりするのは悪いですよ?

そういう事は悪いけど、それは自然をありのままに保つという事が大切なんですから。

だけど、環境はこうあるべきだ、それはいくら何でも傲慢じゃないんですか?っていう感じですね。

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