少しゆっくりしてきましたので、じっくりと私達の幸福というものを考えてみたいという風に思います。
それには色々考えたんですが、具体的な例からいくと分かりやすいっちゃ分かりやすいんですが、余りに日本は今まで具体的な事だけを急いで考えようとして、かえって遠回りなったという気もしますので、少しまどろっこしいし視聴者の方がどう思うかという事は別にして、我々の人生、我々の生活、社会、コロナも含めた色んな状況を見ると、非常に大きく日本社会が乱れてるような気がするので、その意味では一から考え直してみる、整理してみる。
それによって、自分の家庭、自分の人生というものを整理できるんではないかという考えに達しまして、”科学から見た日本”。
科学から見たというのを特に強調したのは、まあ科学でなくても良いんですが、今まで日本文化とかヨーロッパ文化というのを考える時に、科学の視点は非常に弱いんですね。
その意味で、今回科学として見た日本という所に一つの思考の軸を置いてみようかなという風に思いました。
とにかくまず整理をしますと、こういった整理、学問的な体系を作る時の整理というのは、一番最初のスタートの整理と最後の終着点の整理の結果というのは違ってても良いんですね。
それこそが検討する意味があるんで「最初にお前はこう言ったじゃないか」なんて言ってもらうと、人生には進歩がないわけでありますので、変更大いに結構という事でスタートしたいと思います。
世界は大きく日本の文化とユーラシア文化に分かれる。
世界には大きく日本の文化とユーラシア文化の2つがあるって事ですね。
こういう風に書きますと、まず多くの人というかユーラシア文化を主に学んできている人達ですね、中国文化、中東文化、ヨーロッパ文化を学んできている人達は「いやそんな日本というのは世界の非常に小さくて狭い所じゃないか。ユーラシア大陸はほとんどの人類が住んでる所だよ。」と。
「お前は日本人だから日本の文化とユーラシア文化の2つに分かれるなんて書いてるけど、日本は世界の文化のほんの一部であるよ。」という風に、直感的にそういう風に返事すると思います。
これに対して「ちょっと待って下さい」と「少し聞いて下さい」という事を最初に言って話を始めたいと思います。
特にこのブログは日本人を対象にしてますんでね、日本語で書かれてますので。
従って、日本の文化とユーラシア文化という2つに分けて、まずは考えをスタートしたいと思っております。
日本文化は自然が出発点であり、ユーラシア文化は理性が出発点である。
日本文化は自然が出発点であって、ユーラシア文化は理性が出発点であるというのが、まあ一番最初に検討のスタートに私が考えたものなんですね。
これはこのブログでもすでに「日本文化は自然が出発点なんだ。だから日本の神様というのは自然と祖先なんだ。」と。「具体的な神様というのを設定しないんだ」と。「一神教というのも多神教というのもないんだ。」と。
これはヨーロッパでは当たり前にあるんですが、日本文化にはそれはないんだという事をここのブログでも言っておりますが、日本文化は自然が出発点であります。
ヨーロッパ文化は理性が出発点ですね、人間の理性が出発点です。
ですから、日本文化は分かりにくいですね。
自然をどう捉えるかという事で出発点が変わってきます。
例えば、日本は非常に温帯の島国なんですが(これも科学から見た日本という事で強調したい点の一つなんですが)、世界で温帯の島国で比較的大きいというのは日本列島だけなんですよね。
イギリスは温帯に近いんですけど、亜寒帯ですね。非常に寒い。それがメキシコ暖流のお陰である程度の人間が生活できるような温度ではあるんですが、まあ温帯ではありません。
マダガスカルなんかは温帯と言えない事はないんですけど、ちょっとそれにしては暑いしアフリカなので文化が成熟しなかったという点では該当しないですね。
ニュージーランドもどちらかと言ったら温帯の島国なんですけど、やはりこの南半球というのはイギリスの世界制覇ができてからのものですので、これも温帯の島国ではない。
という事で、日本が自然を出発点にしたというのは日本が世界で唯一の”温帯の島国”だったからという風に言えると思うんです。
これは詳しくまた述べますね。
これに対してヨーロッパ文化はユーラシア大陸ですから、ユーラシア・ヨーロッパ文化、中国文化みんなそうですが、ユーラシア文化というのは中国とか中東とかヨーロッパですからね。
大陸ですね。ですから国境がないとか、細かい事言いますと日本では外国から来た動物・植物を区別するんですね、”外来種”と言って。
それは海が周りにあるから外来種というのが存在するんですが、ユーラシア文化には基本的に外来種というのはありません。
というのは、動物も植物も国境線というのが分からないんで、それを気軽に通過してきますからちょっと一様になる傾向があるんですね。
まあこういった差があると。
スタートが違うので全く異なった文化が誕生した。
それで、日本列島というのが世界で唯一の温帯の島国だったので、自然が非常に人間にとって親しいものだったんですね。
従って、自然と対決するという思想は出てこないで、自然の中に人間がいるというそういう構図の中で発達してきました。
これに対してユーラシア文化は、大陸で非常に生存が厳しい自然なものですから、どちらかというと自然と対立する人間、その人間の理性というものを中心に文化が作られてきたと。
つまり、スタートが違うのでというか地理が違うので、この頃で言えば地政学の異なりがあるので、と言っても良いんですけど、その中では全く異なった文化が誕生して然るべきであります。
その結果「日本人が理解できない世界」が存在し、それゆえに「世界を取り入れようとして不幸になる」
その結果、日本人は自然を出発点とした文化でものを考えるものですから、当然理性を主体として考えるユーラシア文化の世界は理解ができないんですね。
ユーラシア文化は今はユーラシアばかりじゃないんですね。
北アメリカ、南アメリカ、アフリカなんていうのがありますからね、オーストラリアもそうですが。(人口は少ないですけど。)
これらは、北アメリカはもちろんイギリスの文化が主であります。
それから南アメリカはヨーロッパの文化が主ですね。
これは南アメリカがヨーロッパの文化が中心なのは、ちょうどナポレオンが登場した200年ぐらい前に、実際上南アメリカというのは国家として成立していきます。
もちろん、「インカ帝国があるじゃないか」と言われればそうなんですけども、まあ世界史の中ではナポレオン時代に出来ていくので非常にヨーロッパの影響が強いですね。
どちらかと言えば、北アメリカはイギリスであり、南アメリカは大陸のヨーロッパであるという風に言うとすっきりしますね。
それからアフリカは1960年代に独立したという非常に若い大陸なので、どの文化というとアフリカ古来の文化にヨーロッパ文化が重なったという事ですね。
1885年にベルリンでヨーロッパ諸国が集まって「アフリカ分割会議」というのをやりますね。
自分達が勝手に人の土地を分割するという酷い話なんですが、まあそういう事が行われるという事ですね。
オーストラリアはイギリス文化です。
ちょっと違うという点ではインドですね。
インドは非常にユーラシア文化が入りにくかったという事で、やや独立を保っておりますが、基本的にはアーリア人が侵入した所が西パキスタンからインドの北部ですので、やはりこれもユーラシア文化に大きくは加えて良いんではないかと思います。
という事で、日本が世界で唯一の温帯の島国であり、自然とも対立関係がなく、従って理性的な文化でなくて自然的な文化を形成してその中で日本人が出来ているという事になるので、日本人が世界の文化を取り入れようとして不幸になっているというのが、この科学から見た日本をスタートする時の私のイメージであると理解して頂いて良いんですね。
もちろんユダヤの影響が非常に強いとか、もっと前の中東の文化の影響を受けているとか、インドから南回りの航路をとって日本に来た人達の影響があるとか、細かい事を言えば無数にあるわけですね。
もちろん大陸からの文化というのがどのくらい寄与しているかも検討せんといかんのですが、そういったものも考慮しなきゃいけませんが、まずは大きな骨太ですね。
私はこの日本人が理解できないユーラシア文化というのを日本が取り入れようとして、現在離婚が増えたり色々な精神的な疾患が起きたり、教育の制度なり。
教育の人とこの前お話して本当に強く感じたんですが、日本文化の教育とユーラシア文化の教育の違いというのをほとんど理解されてなくて、「ユーラシア文化の教育が何で日本の教育に根付かないんだ」という事で大変に苦労されているんですよ。
それは、文化の違いの大元というのをまだ咀嚼されていないからだと思いまして、そういう最近のみなさんの言ってる事を聞きますと、ああこれはやっぱり日本人が理解できない世界の文化というのはどういうものか?それを取り入れる事が良いことか悪いことかという事をしっかり考えていかないといけないと思うんですね。
幕末に日本に来た大使の一人が、「日本人の文化が世界で一番優れている」と。
従って「我々が進歩してるように思ってヨーロッパの文化を持ち込もうとしてるけども、それは本当に日本人が幸福になる事になるだろうか?」という事を書き残しておりますが、まあ大使の方なんで大変に見識もある方なんですが。
この言われた事を、我々はより日本人として十分に咀嚼していかなければいけないと思うわけであります。