日本の精神的な支柱というのは、私は三つあったんじゃないかと。(まあ四つでも良いんですけど)
- 一つは、天皇は神であると。これで日本は統合した。
- それから、自分を作ったものが神様であるという、神様の概念。
- それから、男と女を比較しないという、男女の考え方。
この三つが、日本のいわば精神的なまとまりを作ったものである、という風に考えているわけですが。
僕は、昔から本当に何というか迷ってたんですね。
靖国神社の問題、信教の自由の問題、それからそれと余りにも違う“日本人の実際の行動”ですね。
もちろん、キリスト教信者、僕は割とお寺様にも神社にも、キリスト教の教会にもよく行くんですね。
神社ですと、丹生川上神社下社のように非常に古い神社から、靖国神社のような、人工的にといったら失礼なんですけど造られた神社、なども含めて。
それはどうしてかって言うと、みんな尊敬できるんですね。
牧師様の話を聞いても、非常に心に沁みるものがあります。
11月 ハロウィン
で、日本人の行動を観ますと、11月にはハロウィンで騒ぐと。
これは、ケルト人の祭りなんですが、ケルト人の祭りっていうのはキリスト教よりか前なので、紀元前800年とか600年とかいう頃のものだと思うんですが、従ってキリスト教から見れば“異教”ですね。
だけども、キリスト教はあまりにもハロウィンが自分達の先祖の物、つまりキリストが生まれる前の、やや中央ヨーロッパから北ヨーロッパにかけての宗教ですから、あまり無下にもできないものですから、キリスト教から見れば異教なんですけど、イエス・キリストが生まれるより先にできてるものですから、異教だという判断をしてる人と、いやそこまでは良いんじゃないかという人と、キリスト教でも二つに分かれておりますが。
日本ですと何が神様だか分からなくて、カボチャに目でも描いてそれで騒いでるっていう感じなんですね。
12月 教会で結婚式
12月になって、たまたま12月に結婚するとしますね。
いつも言ってるんですけど私が、イエス・キリストの前で愛を誓う。あなた、結婚した時にもう嘘をついてるの?っていう感じなんですよね。
12月 クリスマス
12月にはクリスマス。
クリスマスもまあ教会に行く事もありますけど、例えば家にはクリスマスツリーを飾り、それからジングルベルとか、きよしこの夜とかをかけて、子供には靴下にプレゼントを入れると。
「サンタクロースさんが来るよ」
まあサンタクロースも、これキリスト教かというとこれは難しい問題はあるんですけど。
まあ12月のクリスマス。
1月 初詣
そして、一週間も経つと初詣。
神社に初詣に行って手を合わせる。しかし、これも心から手を合わせてるんですよね。別に親戚の手前とかそんなんじゃなくて、初詣してお賽銭を投げて拝んで家族の健康とか平安を願うと。これ、本当心からなんですよ。
1月 お墓参り
それから、お墓参りに行くと。
それで、お坊さんのお説教聞いたり、お墓の前で手を合わせると。これも、心からなんですよね。
私は、何とか日本のこの神というものについて、回答を得たいと。憲法の自由、信教の自由との関係、それを全部超えた日本人の奇妙な行動、これについて全部の回答を得たいと。
科学というのは、全て説明できないと科学者は満足しないんですよ。ある意味で説明できるっていうのは、それはもう言い訳はいくらでもできますんでね。
日本の「神」は「自分を作ったもの」
で、2年か3年前ぐらいにやっと私「ああ、そうか!」と思ったんですね。
それは、日本人の神っていうのは自分自身もしくは自分の家族、仲間でも良いけど、“それを作ったもの”なんですね。
じゃあ、自分を作ったものは何かというと、一つは“自然”なんですよね。だって、太陽がなかったら冷たくて-240℃ぐらいになって、これも生きていけないと。もちろん、生命は生まれない。
海がなければ生命は生まれない。山がなければ恵みがない。大地もそうだと。雷もそうだと。雷は日本では重要な神様ですね。
それから、狼とか動植物ですね、これも神であると。
立派な樫の木が生えてると、それはもちろん神様であると。
それは、自分が自然から出来ているという事が分かっているからなんですね。
それから、もう一つ自分を作っているものは“祖先”なんですね。
で、祖先というのは、よく系統図で間違ってて、私この前ニュース女子でその話をしましたが、系統図を出すと一番上に昔の人を書くんですね。
平清盛がどうのこうのなって、ここで農民になってこうこうなって、今の私がいると。
いう事を書くんで、一本の線になってるんですけど、実は本当の系統図っていうのは自分から上に遡る。
自分から上に遡ると、親が二人、お爺さんお婆さんが四人、曾お爺さん曾お婆さんが八人、というように2のn乗になるんですね。
まあ2のn乗というのは恐ろしいもので、今ちょっと喋りながら計算したくなったんで(計算中)、喋りながらじゃ難しいんですが、瞬く間に2、4、8、16、32、64、128、256、512、千いくつという風にどんどん増えていきますので、人間は30年ごとに子供を産んでいきますので、少し前になるともうすぐ10万とか20万とかになっていく、100万とかですね。
従ってだから、日本列島に我々は住んでるんですけど、全員が同じ子孫なんですよ。全員が同じ子孫というのはどういう事かというと、自分の親を二人だと思えば、自分と隣の他人とは違うんですよ。
ところが、自分の親が例えば20代前とか、50代前とかいうとこれはもう、日本人全部同じ人間なんですよ。だって同じ遺伝子から出来てるんですから。
ただ、遺伝子の組み合わせが違うっていうだけですからね。
我々日本人は、日本人を構成する遺伝子は皆同じなんですよ。
それから、途中で色々な所から来ましたね。朝鮮からうんと来たというのは僕は間違いだと思いますけども、朝鮮から引き揚げてきた人っていうのはいますけどね。
そこら辺は議論をするとして、いずれにしても、我々の遺伝子は全部混ざってるはずなんですよ(笑)
だから、そういう意味では、日本人は二つ置いたんですね。
自然の神様、それから自分の遺伝子である祖先、この二つを神としようじゃないかと、こう決めたんですよ。
だから、イエス・キリスト、もちろん神ですよと。お釈迦様、もちろん神です。ケルト人のハロウィンの神、うーん…構いませんよ、少し遠いけどね。と。こういう感じなんですね。
それから、もちろんその内、(自然の場合もそういうとこがちょっとあるんですけど)祖先の場合はどちらかと言うと、「可哀想な死に方をした人の霊魂を大切にしよう」という気持ちがあって、例えば戦争で亡くなった人、日本の為に命を落とした人は靖国神社に祀ろうかと。
だから、靖国神社って全然思想に関係ないんですよ。軍国主義と関係ないんです。それは、軍国主義に利用されたっていうだけなんですよ。利用はいくらでもしますよね。
例えばキリスト教だって、イエス・キリストはもの凄く立派ですよ。だけど、イエス・キリストの名の下にいくらでも戦争してるじゃないですか。汚い事もしてるし、十字軍もあるし。
それから、1500年から1600年にかけては、イエス・キリストの旗を掲げながらアジア人の国を全部植民地にしてまた殺したじゃないですか。
だから、宗教を利用するって事とその宗教自身を悪いものだっていう事とは関係ないですよね。
だから、キリスト教は立派ですよ。だけど、キリスト教の名の下にこれだけ戦争があって殺戮があったじゃないか。コンスタンティノープルを十字軍が荒涼したじゃないかと、だからキリスト教は邪教であるとは言えないんですね。別のものなんですね。
だから、私は靖国神社問題なんか何の問題でもないと、何を問題にしてるの?っていう感じなんですけどね。
それで、もう全部が解決して天井が開いたみたいになって、気が楽になったんですよ。
それで、その後は宗教の問題はことごとくきちっと説明できるようになったんですね。
もう一つ、私が何で目が開かなかったのか。日本の宗教を理解できなかったのかといったら、やっぱりヨーロッパの事を勉強しちゃったからなんですね。
ヨーロッパというのは、多神教とか一神教とか、キリスト教と違う宗教だとか言って、宗教の概念自身が日本と違うんですよ。
キリスト教とかイスラム教なんかの宗教は、神様は自分が信じる神様だけなんですよ。
イエス・キリストとかマホメット(ムハンマド)とか、お釈迦様とか”教祖”がいて、”経典”、その人達がお話した事をまとめたようなものがあって、”戒律”、こうしなきゃいけない、例えばクリスマスでは教会で生誕を祝わなきゃいけない。イスラム教ですと日に五回メッカの方を向いて礼拝しなきゃいけない、とかこういった戒律があるんですね。
日本は、日本の神道なんていうのは宗教じゃないんですよ、もちろん。
だって、日本は宗教じゃないっていうんじゃなくて、ヨーロッパ流の宗教の概念は日本にはないっていう事なんですよ。それだけなんですね。
これが分かって、日本は多神教だとか言うから「多神教かな?それはおかしいな」と思ってたけども、これも解けたわけです。
多神教とか一神教とか信教の自由なんてやつはヨーロッパの概念。このヨーロッパの概念がそのまま日本国憲法に書いてあるからややこしい。それで論争が起きるわけですね。
この際、私、キリスト教の人もイスラム教の人も全部、日本の宗教を理解してほしいんですよ。
日本の宗教というのは、多神教でも一神教でもない。何が神様かというと自分を作ったものが神様だ。だから自然と祖先の魂だ。
と、こういう事になるわけですね。ですから、自然と祖先の魂を祀る。
だからハロウィンで、次がイエス・キリスト、日本の神様、それからお釈迦様でも全然構わないんですよ。もう同時全部受け入れなんですよ。宗教の概念が違いますから。
「どの人を信じるの?」いや、人を信じるとかそういうケチくさいものじゃないですよ、日本の宗教は。
自分を作った自然、自分を形作ってくれた祖先、この二つが神様ですっていうわけですね。
ですから乃木大将、いやあ立派な方だと、祖先だしもちろん。じゃあ乃木大将は私と血が繋がってないかといえば繋がってるんですよ。だって、ずっと遡れば。乃木大将っていうのは私の「お爺さんの叔父さん」みたいなものですからね。だから大丈夫なんですよ。
全部血が繋がってる。血が繋がってない人間ていないんですよ。
だから、日本の考え方は非常に偉かったですね。
ただ、恨みを持って亡くなった人は、優先してお祀りをしようというのはあるんですね。
それから、自分の近くにある山に住んでいる神様は、時々礼拝してお祭りなんかしなきゃいけないと思ってると。
それは、やり方としてそうだっていうのがあるって事ですね。
実は、私のブログに色々寄せて頂く人の意見というのはずっと読んでるんですね。一つはメールです。もう一つは、私のブログを色々ネットに出してくれる方がおられて、その方の所に色々批評が付いてるわけですね、コメントが。
それを読みますとね、非常に参考になります。「ああ、そうか」と思いますね。
それからもちろん虎ノ門ニュースとか、ホントの話とか、そういった私が出てる番組に、(虎ノ門ニュースはコメントが付けられませんが)ホントの話なんかはコメントが本当に役立ってるんですよね。
そういうもので、私のこの日本の神様というものの考え方で、おかしいとか、こういう点がちょっと問題じゃないかっていうのは是非指摘して頂きたい。
私としても、天皇は神だっていうのは相当古いんですけど、日本の神様が自分を作ってくれたものだっていうのにはっきり気が付いて、それに理論的な骨組みを付けたのはごく最近なんで、まだまだ欠陥があるんじゃないかとは思います。